チェコのヤポンカ

text by 木村有子

冬のビロード革命

変化

外の気温は、軽くマイナス10度を下回っていた。100メートルも歩くと寒くてたまらず、目が喫茶店を探し出す。店を見つけると、とりあえず温かい物を飲み、体が温まると再び歩き出した。 商店のウインドーには、様々なビラが張られていた。中でも「OF」と書かれた物はあらゆるところに張られていた。「O」の中には、ピースマークのように目や口が書き込まれ、笑顔になっている。それは、ハヴェルが中心となっていたObčansky Fórum(市民フォーラム)のマークだということがわかった。よく見ると、通りを行く人で、このバッジをつけている人が多い。ビラには、「労働者、学生諸君、ストを!」と「Havel na hrad! ハヴェルを城へ!」(フラッチャニー城に大統領官邸があるため、「ハヴェルを大統領に!」の意味)と、強い呼びかけの言葉が踊っていた。まっすぐ前を見つめて足早に歩く人。寒い中、立ち止まって熱心にビラを読む人。今まで見たこともないような希望の光が、その目に見てとれた。

私達夫婦はマルティンのアパートに泊めてもらった。マルティンは、日本のテレビ局と一緒に取材をしていて忙しかったが、帰宅すると興奮してチェコスロヴァキアが置かれた状況を日本語で語った。
まず、11月17日に行われた学生のデモが発端となったこと。それは、1968年にソ連軍などに抵抗した英雄達を記念して、ヴァーツラフ像の所にロウソクと花を捧げようという平和なデモだった。機動隊がデモを弾圧した際にけが人が続出し死亡説まで浮上したという。その事件に憤った市民が、次第に多くの人がデモに参加し始めたという。私は、昼間にヴァーツラフ像の近くで見たたくさんの花束とロウソクを思い出した。
「“憲章77”のハヴェルが中心になってできた「市民フォーラム」という組織が市民に支持されて、ヴァーツラフ広場で30万人の集会が開かれたんだ。保守派の幹部全員を辞任に追い込んで、とうとう「市民フォーラム」の綱領が発表された。全国にストを呼びかけているところで、演劇人や音楽家達も公演の代わりに討論会などを開いている。今度こそ絶対に!民主化を実現しなくちゃいけない!」“絶対に!”の言葉に特に力が込められていた。


冬の終わり

翌日、再びYさんと合流して私が留学していたカレル大学へ行くことにした。ちょうどカレル大学哲学部に入ろうとしたとき、斜め前にある「芸術家の家」(現在はルドルフィルム)正面の階段で何か動きがあった。はちまきをして、横断幕を持つ学生達のようだった。何かを叫んでいる。広げた横断幕には、中国の天安門事件に対して抗議と、中国の学生と連帯する、という内容が書かれていた。外国人ジャーナリストが、その様子を写真に撮っていた。学生が逮捕されないかと心配したが、ついに警察は現れなかった。
カレル大学哲学部内の一教室では、学生達が忙しく立ち働いている姿があった。資料を揃え、広報活動に余念がない。ある女子大生と少し言葉を交わした。11月17日のデモの話から今に至る出来事と、これからの展望について尋ねた。
「平和に行われていた学生のデモに対して、許しがたい暴力が振るわれ、国民の怒りの声が挙がりました。集会参加者も増え、全国に波及しています。先のことは未知数ですが、私達の考えをできるだけ広く伝えて、政治の行方を見守りたいと思います」と語った。女子大生の言葉は力強く、何をも恐れない瞳をしていた。私同様に1968年の「プラハの春」事件が記憶にない世代だ。70年代から80年代の一部ではあるがチェコを見てきて、まっすぐに将来を語れる世代が出現したことに、私は心打たれていた。
21年前に挫折した民主化運動「プラハの春」だが、今度こそ本当に“春”が訪れて欲しい、いや絶対訪れるに違いない。凍てつくプラハ中央駅のプラットホームで、祈るような気持ちでいた。チェコで会いたい人の顔が次々浮かんでは消えたが、この旅は先を急がなければならなかった。また、必ずチェコへ戻ってくると心に誓い、ブダペスト行きの列車に乗り込んだ。

***

12月25日。クリスマス休暇をドイツ北部のローテンブルクの友人宅で過ごしていた私達は、テレビで衝撃的なシーンを見た。ルーマニアのシャウチェスク大統領夫妻が、銃殺刑になった生々しい映像だった。この一件は、東欧革命の最終仕上げとも言われた。
12月29日。チェコスロヴァキアでは、ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領に選出された。ルーマニアと対照的に平和裏に行われた革命は、柔らかな布に例えて「ビロード革命」と名づけられた。


カレル大学哲学部内では、希望者に情報を提供していた。「一党独裁の終焉」のポスターやチラシが、ガラス窓を覆いつくす。

カレル大学哲学部内で見られた討論風景。

11月17日、学生がロウソクと花を持って行った平和なデモを、機動警察が暴力で阻止しようとし大勢のけが人と逮捕者が出た。その時の写真と抗議文。平和な行進をしていた学生と対照的に物々しい警備の写真を見て背筋が凍る。

11月17日の学生デモが行われたナーロドニー通りを歩き、留学時代に時々ジャズを聴きに行ったレドゥタの前で記念撮影。“21:30〜 ジャズフォーラム”という予告なので、討論会が開かれたものと思われる。後に、アメリカのクリントン大統領とハヴェル大統領がこのジャズクラブを訪れて話題になった。

ビロード革命の翌年1990年の夏、ドイツから再びプラハ。同じようにヴァーツラフ広場に立っても、共産主義時代とは違う解放感が漂っていると感じた。この時の国名は、「チェコおよびスロヴァキア連邦共和国」だったが、後1993年1月にチェコはスロヴァキアと分離・独立する。

旧市街広場の時計台のところに出現した、巨大オブジェ。なんと、東ドイツの国産車トラバントに4本の足をつけ、黄金に塗られていた。

1990年の夏に、仕事でヨーロッパに来た父とプラハで落ち合った。1970〜74年の5年近く、共産主義政権下のチェコスロヴァキアを拠点にして東欧を取材していた父は、“ベルリンの壁崩壊”や“ビロード革命”後の国々を見て、なにを感じていたのだろうか。

70年代に家族ぐるみでお付き合いをしていたノヴァーコヴァーさんご夫妻。家が近所だったので、1歳年上のヤナともよく遊んだ。ビロード革命の翌年に父と訪問するととても喜ばれた。私にとっては、プラハへ行ったら必ず会いたくなるチェコのおじさん、おばさんだった。

きむら ゆうこ

プロフィール
1970年から73年までプラハに住み、現地の小学校に通う。1984年から2年間、プラハのカレル大学へ留学し、1989年からはドイツに4年間滞在。チェコの絵本や映画の翻訳、通訳、コーディネートなど、チェコに関わる仕事に携わっている。

近況
○チェコ共和国大使館の敷地内にあるチェコセンターにて、もぐらのクルテクの作者ズデネック・ミレル氏の原画展が開かれています。「もぐらとじどうしゃ」などの原画が約30点。2月22日までですのでお見逃しなく!
お問い合わせ先:チェコセンター
TEL.03-3400-8129
http://www.czechcentres.cz/tokyo/novinky.asp

○チェコセンターへの詳しい地図は、偕成社HPのキッズパークというコーナーに載っています。(ミレルさんにお会いした時のエッセイも掲載されています)
http://www.kaiseisha.co.jp/ribron/chara/mogurakun/news.html

○「チェコへの扉」―子どもの本の世界―が、国立国会図書館国際子ども図書館で開催されています(9月7日まで)。図書館が所蔵する資料を中心にした展示が約280点。「もぐら」や「カッパ」などチェコで愛されているキャラクターも特別コーナーで特集を組まれています。イベント等の詳細は、HPをご参照下さい。
お問い合わせ先:国立国会図書館国際子ども図書館
TEL.03-3827-2053(代表)
http://www.kodomo.go.jp/event/exb/index.html